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Archive for the ‘秋吉茂’ Category

2月
26

美女とネズミと神々の島 3

 このルポを読むにつれ、小学6年の頃を思い出した。昼休み、給食が終わると、先生は、この本「美女とネズミと神々の島」を読んでくれた。銀色ラッコのなみだも話してくれた。
 そのころの私には、右の耳から左状態であった。しかし、心の中に、種は残っていて、今、何度も読み返すうちに、芽が出てきた。当時、先生も目頭を熱くしてこのルポを読んだに違いない。もし、今私も教師なら、昼休みに同じ事をしたにちがいない。あの頃の自分を振り返ると、恥ずかしくなる。46年前のことである。

【先生が、読み聞かせてくれたであろうと想像する本(図書館から借りともの)】

2月
17

美女とネズミと神々の島 2

 昭和35年、朝日新聞社会部記者秋吉茂氏の1ヶ月に渡る悪石島の現地ルポ。「美女とネズミと神々の島」は、改めて昭和39年に加筆し河出書房から出版した。

 当時の新聞記事を読みたいと思い郡山市中央図書館に行き、”底辺に生きる”をキーワードにして、縮刷版の索引を探したが見つけることが出来ずにいた。事情を図書館職員に話し帰った。その日の夜、図書館から電話があり、見つかったとのこと。次の日、図書館に行って拡大コピーを取った。
 調べた方法を聞いてみた。舟で新任の先生と一緒だったこと、一ヶ月滞在したこと、関西本社に戻って翌日から連載したこと、を踏まえて、4月の1ヶ月のルポと推測し、35年5月初旬の新聞を全て調べたという。有り難うございました。

 ”新任式の朝”、”遠足の日”、”島の先生”、計3回、「悪石島(あくせきとう)の学校」と大きい字、脇に小さく「底辺に生きる 第四部」として連載があった。「美女とネズミと神々の島」の内容と同じで少しガッカリ。しかし、最近、美女とネズミ・・・を読んだばかりの私には、当時、反響の大きさ、巡視船「いき」の有村船長の英断による離島のパトロール強化等々当時の雰囲気が伝わってきた。

朝日新聞 昭和35年5月 7日(土曜日) 10面 悪石島の学校(1)-底辺に生きる 第四部- 新任式の朝

朝日新聞 昭和35年5月 8日(日曜日) 10面 悪石島の学校(2)-底辺に生きる 第四部- 遠足の日

朝日新聞 昭和35年5月10日(火曜日) 10面 悪石島の学校(3)-底辺に生きる 第四部- 島の先生

郡山市内の方でしたら「美女とネズミと神々の島」は図書館にあります。
http://www.toshokan.city.koriyama.fukushima.jp/KRCLIB/servlet/search.detail_list?tilcod=1005010042450

2月
05

安積開拓

 「百万人の大合唱」の原作者の秋吉茂は、朝日新聞郡山支局にいた。その時代の出来事の一つとして執筆した。福岡生まれの秋吉は、郡山を知るためにいろいろと調べたに違いない。

 郡山市は、明治大正時代全国各地から入植者が集まり安積平野を開拓した歴史がある。その農民の貧しさ故の卑屈さ、協会のボランティアをする金持ちの見栄と嫌らしさを描いた小説が宮本百合子の「貧しき人々の群」。

安積開拓の像

安積開拓の像 説明
【安積開拓の像(上)と説明文(下)】

 「貧しき人々の群」は、異様さと不気味さを感じる。百合子は、傍観者として農民を描いているが、秋吉は、島民に溶け込み、島民の生活をルポした「美女とネズミと神々の島」、貧しさを描いているが、どこか清々しさが残る。50年も前のことで、今は、docomoの無線基地さえある。一度は行ってみたい美女と神々の島、悪石島。

2月
01

美女とネズミと神々の島

 百万人の大合唱は、秋吉茂氏の原作。秋吉氏の有名な著書に「美女とネズミと神々の島」がある。昭和30年代の悪石島を1ヶ月にわたって現地ルポした。題名の「美女」は、いまでいう美少女が多い島。「神々」とは、信仰心の強さから、貧しい生活を切り詰め神を優先する島民。そして、気になるのが、ネズミ。

 私は、昭和29年生まれ。ルポに出てくる少年少女と同年代、茨城県北の炭鉱町で育った。まわりの町からは「チロリン村」と云われていた。山神様という神社があった。山の中腹に安全第一の大看板、しかしそれでも、数年に一度の落盤事故を神様は許した。

 遠い遠い海を集団で渡ってくるネズミに島民は恐れを感じていたのだろう。大きなネズミが、罠に掛かったら大変で、ネンシババが祈祷する。

霧ばえがふいて、

アワやキビの草とりに行けない。

山にたき木や、竹の子とりにも行けない。

麦もかれない。せっかくみのったのに。

ことしも、麦はたべられない。

このまま 霧ばえがつづいて、

トビウオとりも出来なくなったら、

わたしたちは、どうなるのだろうか。

わたしは、このごろ人間ががいやになった。

ガヤスになりたい。

ガヤスになりたい。

ネズミさまはのぞめなくても。

(当時中学三年 肥後房子さんの詩)

(ガヤスは、カラスの意)

 悲し過ぎる。目頭が熱くなった。そして、私に勇気を与えてくれた。
 我が心に誓う。月に一度でも、心傲るとき、酒を飲むとき、一家団らんのときに、「米のめしを食いたい」といったこどもたちのことばを、つつましく思いおこそう・・・  昭和39年3月17日 秋吉 茂 
と結んでいる。
 東京オリンピックの半年前のことである。

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